25年ぶり♪♪
と思って、タイムマシンに乗って駆けつけたところ、なんと『27年ぶり』だそうです。
・・・・・無意識に2歳、サバ読んでたみたい(^ 0 ^; )

あの頃・・・・
大阪市内、いや全国的にごく普通の一般公立中学校のと言うのは、
常にどこかしら校舎の窓ガラスが無かったのではないでしょうか。
金八先生どんぴしゃり。卒業式には『贈る言葉』。
大阪市内のガヤガヤ街にある我が母校ももちろん。
『学ラン開けたら登り龍』が憧れの君でしたから(笑)
そんな時代に中学生だった私はと言うと・・・・・・・。

『6時受け付け開始、6時半開宴』となっていたので、6時15分を目指して会場へ。
すでに、20人くらいは来ていたが、卒業後も交流あった顔はあまり無く、なんとなく顔はわかるけど、この人名前・・・・なんやったっけ??? と言う状態。
しばらく隅っちょでもじもじしてたら・・・・・。
『おっ!殿下やんけ!おまえ、帰って来られへんかったんちゃうんか?
帰って来れたんかー!ひっさしぶりやんけー!
おいおい、ちょっと腹出てきたんちゃうかー。』
と懐かしいやんちゃな顔。
『きゃー☆ なつかしいー! あんた全然変わってないなー!』
『あたりまえやんけー。あっそうや、殿下。俺な、今日単車で来たし、帰り送って行ったるでー!おまえのお母ちゃん怖いからなあ、近所着いたらちゃんとエンジン切って静かに走るやんけ〜。』
『まじかいな。そんなんあんた、今日お酒飲んだらあかんでー!』
『おまえ、ジョーダンに決まってるやんけー。この歳であんなん転がしたら即死やでー、即死ー!』

そう。あの頃の私はと言えば、、、、、
もちろん『手の付けられないようなワル』でも何でも無く、先輩が『黒い』と言えば、純白でも『黒いです。』と答える超体育会系のバスケ部に所属し、厳しい縦社会を学んでいる真っ最中の、ごくごく普通の生徒だった。
今の私しか知らない人からは想像もできないと思うけど、中学入学当時は145cm、卒業時は162cmと、身長だけはたけのこのように伸びたものの、ガリガリで胸もぺっちゃんこ、初潮はクラスで最後の二人を記録。今の豊満(←ものは言いよう☆)で大柄な私とは全く別人の貧血少女でしたの。
が、しかし、幸か不幸か顔の作りが若干はっきりくっきり系だったのと、『基本的にコンサバだけど、ミーハーで流行物はそこそこお好き♪』と言う、今と大差ない性格はすでに形成され、好奇心旺盛で、やんちゃ事にはとりあえず首を突っ込むためなのか『ただ目立つから。』と言う理由だけで、しょっちゅう家庭訪問有り、呼び出し有りのちょっと気の毒な学生だった。
教師曰く、落ちてしまった生徒はもうどうしようもないが、私は『落ちそうなところをウロウロしている最もアブない生徒』に見えたらしい。
確かに、やんちゃな奴らとも仲良かったし、好奇心で喫煙したり、バイクの後ろに乗せてもらったりはしたが、常連だったわけではなく、『気が向いた時だけたまに参加』と言う気ままな性格もまた、その頃から出来上がっていた。
そんな末っ子を産んだうちの母はと言うと『学歴と世間体こそが人生最大の武器。目立つ事無く平凡な人生を送る事は、簡単そうで案外難しく、それをまっとうする人生こそ幸せな事である』と言う超真面目な人なので、とにかく、めっちゃくちゃ厳しかった。
友達からの電話はまず、取り次いでもらえない。それがましてや男性だった日にゃあ『うちの娘に何の用事?』と冷たく言い放って切り、たまたま私が電話を取って話してても、横に立ったまま『早く切りなさい』とか、相手に聞こえるように言われたし、私がお小遣いはたいて買ってきた洋服やピンヒールなどは、容赦せず何も言わずにことごとく捨てられた。
卒業してからは、これまた『流行物はお好き♪』な性格と、すでに女子大生を謳歌していた姉の影響で、やれビギだのギャルソンだのと追いかけるようになったので、いわゆる『ヤンキー』な時代は私の人生には無いが、地元で着かず離れずの友達は多かった。
もちろん『殿下のお母ちゃんはは怖い』と有名で、私はそれがイヤでイヤで、母に『あの子達と付き合うな』と言われれば言われるほど、反抗したりした。
今思えば、そんな真面目で地味な母の必死の努力も多少は理解出来るが、私が完全に転げ落ちなかった大きな支えは、『付き合うな』と言われた友達と『流行ものの業界へ進む夢』だった。
高校にも進学しなかった連中ばかりだったが、たまに参加する私はいつでも暖かく歓迎され、夜な夜なつるんだりもしていたが、だいたい限界の時間になると親友の女友達にまず
『殿下はそろそろ帰り。またお母ちゃんに怒られるやろ』と言われた。
『いや、大丈夫。まだ帰らへん』と言っても、結局最後は『ちゃんと送っていたってや!』と言ってくれてメットを渡され、誰かがバイクで送ってくれる。改造してたりして音がすごいのを、私がお願いした事は一度もないのに、家まであと200メートルくらいになると必ずエンジン切って静かに家の前まで送ってくれた。
無茶苦茶心に残るエピソードがある。
ある日『私が大丈夫って言うてるんやし、まだ帰らんでもええねん』と言うと、
連中のひとりがさらっと言った。おそらく本人は全く覚えてもいないと思うけど、
『殿下、もう帰った方がええで。またお母ちゃんに怒られるやろ。』
『いや、大丈夫。怒られても気にせえへんから、私。』
『怒ってくれる人が居てるねんから、帰り。俺ら帰っても誰にも何にも言われへんねん。
誰も居てないし。おまえはちゃんと自分のやりたい道行けよ。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二次会は地元のカラオケボックス。
三次会は仲良かったメンバーだけで新地のバーへ。
27年過ぎても、腐ったみかんは今でも変わらず優しくて。
寂しがりやで、やっぱりみんな、無茶苦茶あたたかかった。
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おまけ
バックに流れているのは、わざわざこの日の為だけに幹事が作ってくれたカードです。
『凝ってるなあー!』と感心。
そう言えば、幹事が印刷屋の息子だったのを思い出して納得。
こちら、今回、10クラスあった卒業生に連絡取って取りまとめると言う、
非常に面倒くさい役を率先してしてくれた幹事の”あてじくん”。
会場でも一生懸命写真撮って、同窓会ブログまで立ち上げてくれました。

あてじー! ご苦労様〜! & ありがとうね!
みなさま、来年の年賀状は是非!
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